(生体)材料科学における「クリック」ケミストリー
Dr. Joost A. Opsteen1, Dr. Lee Ayres2, Prof. Jan C.M. van Hest1
Material Matters, 2008, Vol.3 No.3
はじめに
生体分子と合成高分子を一体化することで、応用分野の広い高い汎用性を持つ新しいタイプのバイオハイブリッド材料を作製することが、近年大いに注目されています。その理由のひとつとして、生体分子と合成高分子とを的確に結合させる合成方法が開発されたことが挙げられます。銅(I)触媒アジド-アルキン付加環化、すなわち「クリック」ケミストリー法は、その効率性と特異性のほかに、天然高分子と合成高分子を問わず必要な官能基を導入できる可能性を持つことから、特に有用な方法です。本稿では、高分子工学分野の「クリック」ケミストリーの応用と高分子バイオハイブリッドの合成に関する概要をご紹介します。
高分子バイオコンジュゲートの合成
DNAやタンパク質などの天然高分子は、現在の合成材料に比べて極めて優れた構造制御がなされています。構造が明確な三次元組織は、高度に制御されたヌクレオチドやアミノ酸の配列に由来しており、生体高分子に特異的な機能をもたらします。この三次元構造は生体高分子の機能を担っていることが多く、立体配座が変化することで機能が失われてしまいます。一方、合成高分子はこのような完全なレベルでは制御されていませんが、比較的容易に特定の使用環境に適応させた多様なトポロジーと組成を持つものを合成できます。
最近現れたロジカルな方法に、生体高分子の構造制御と合成高分子の汎用性とを組み合わせたものがあり、プログラム化された組み立て構造、認識、生理活性などの特性につながります。現在応用されているバイオハイブリッド高分子の合成には概ね、従来の化学手法が利用されており、タンパク質のリジン残基のアミンやシステイン残基のチオールに対する反応性に依存しています。バイオハイブリッドを使って既に優れた結果が得られてはいますが、このふたつの残基、特にリジンは、タンパク質に広く存在するため、複数の合成高分子ビルディングブロックが付加する原因になっています。このため、構造が明確に制御されたバイオハイブリッド高分子を合成するには、生体高分子に存在する他の官能基に対して不活性で極めて特異性の高いカップリング法が必要です。
この点で、「クリック」ケミストリーは生体分子と合成高分子とを結合させるうえで大変有用です。「クリック」ケミストリーはSharplessが創り出した用語で、モジュール方式で、適用範囲が広く、きわめて高収率で、クロマトグラフィーなしで除去できる無害な副生成物のみを生成する一連の化学反応を指します<sup>1</sup>。最も有名な「クリック」反応は、銅(I)触媒アジド-アルキン付加環化反応(CuAAC:copper(I)-catalyzed azide-alkyne cylcoaddition)であり、図1に示すような1,4-二置換の五員環構造をもつ1,2,3-トリアゾール環<sup>2</sup>が得られます。このアジドとアルキンとの反応は、収率が高く、ほかの官能基によって反応経路が阻害されることはありません。アジド基とアルキン基はいずれも、既存の手法で生体分子と合成高分子の特定の位置に導入することができます。これにより、「クリック」ケミストリーは高分子化学やバイオコンジュゲーションの分野に革命をもたらしました。その一部をこれからご紹介します。
図1「クリック」ケミストリーによる高分子の側基および末端基の官能基化の模式図
高分子工学における「クリック」ケミストリーの新たな役割
開環メタセシス重合(ROMP:ring-opening metathesis polymerization)、ニトロキシド媒介ラジカル重合(NMP:nitroxide mediated radical polymerization)、可逆的付加開裂連鎖移動重合(RAFT:reversible addition-fragmentation chain transfer polymerization)、原子移動ラジカル重合(ATRP:atom transfer radical polymerization)といった現在使用できるリビング(制御可能な)重合技術によって重合プロセスの厳密な制御が可能です。重合度をあらかじめ決めることができ、多分散性を低くできます。さらに、側鎖と末端基の官能性、組成(ブロック、グラフトおよびグラジエント共重合体など)、トポロジー(くし型、星型、樹枝状構造など)について高分子の構造をデザインすることができます3。アジド部分とアルキン部分は、制御された重合法を取り入れることによって高分子鎖のさまざまな位置に容易に導入できるため、このきわめて効率的なCuAAC反応は高分子工学の強力なツールとなっています4-8。
CuAAC反応を利用して、アルキン基を有するビルディングブロックとアジド基を有するビルディングブロックからモジュール方式で、構造が明確なトポロジーをもつ多彩な高分子が構築されており、高い収率が得られています。合成された構造の一部を図2に示しましたが、その範囲はブロック共重合体、グラフト共重合体、星型共重合体からハイドロゲルのような網目状高分子に至ります。たとえば、ATRPを応用するとアジド基とアルキン基を高分子鎖の末端に導入できることが明らかになっています9。これはアルキン基を有する開始剤と、重合後にハロゲンをアジドで置換することで実現されますが、ATRPで合成した高分子では常にこのハロゲンが末端に存在することになります。この方法によって、銅(I)触媒で定量的にカップリングさせることができる官能基化された高分子ビルティングブロックが得られました。
図2「クリック」ケミストリーによって作製された高分子の例:ブロック共重合体<sup>9,10</sup>、鎖が伸張された高分子<sup>11</sup>、環状高分子<sup>12</sup>、グラフト共重合体<sup>13</sup>、ハイドロゲル<sup>14</sup>およびMiktoarm星型ブロック共重合体<sup>15</sup>。
同一の高分子ビルディングブロックの末端にはアジド基のほか、アセチレン基も導入できるため、この「クリック」カップリングの概念を展開してひとつの高分子の両末端基を連続的に官能基化する方法を実現しました10。高分子の一方の末端で選択的にCuAAC反応を行うため、もう一方の末端のアセチレン部分はトリイソプロピルシリル(TIPS)基で保護しました。この保護基はその後簡単に除去できるため、アセチレン基を次の「クリック」カップリングに利用できました。このモジュール方式のアプローチを使って、ポリ(アクリル酸メチル)-<i>block</i>-ポリスチレン-<i>block</i>-ポリ(アクリル酸 <i>tert</i>-ブチル)のABC型トリブロック共重合体(図2の反応Ⅰ参照)が合成されています12。なお、この方法では異なる重合メカニズムで合成された比較的結合しやすいブロックを用いることもできます。
CuAAC反応は、さまざまな高分子構造の作製に加え、高分子鎖や高分子ネットワークへの官能基の導入にも利用できます4–6。アジド基やアルキン基を導入したモノマーを使えば、嵩高いペンダント基を高分子鎖にグラフトすることができますが(<b>図2</b>の反応Ⅱ参照)、この手法は、あらかじめ官能基を導入したモノマーの重合では問題となることがあります。一般的には、制御された重合技術に「クリック」ケミストリーを組み合わせれば、高分子の側鎖や末端基にさまざまな官能基を導入する点においてほぼ無限の可能性を秘めた強力な手法といえるでしょう。
「クリック」ケミストリーによるバイオハイブリッド高分子の合成
CuAAC反応はきわめて効率的であり、高分子などの大きな分子を高い収率で結合させることができるだけでなく、きわめて特異的でもあります。これは、用いられるアジド基とアルキン基がほかの官能基に対して不活性であり、銅(I)触媒存在下でのみ相互に反応することを意味します。この特異性に加え、水溶液中、室温で反応を実行できることから、「クリック」ケミストリーはペプチド、タンパク質、炭水化物、DNAといった生体分子と合成高分子とを結合させるための最適なツールです16,17。まず、最初の例として、図3に示すような、末端にアジド基を有するポリスチレンを、アルキン基を導入したウシ血清アルブミン(BSA)タンパク質と結合させる反応があります18。ここでは、ATRPで調製したポリスチレンの末端のハロゲン基を求核置換してアジド基を定量的に導入しました。BSAの外側に位置するシステイン残基(Cys-34)のチオール基に対してアルキンを有するマレイミドによるマイケル付加を行ったところ、1箇所のみがアルキン化されたタンパク質が得られました。続いて、硫酸銅と、<i>in situ</i>でCu(I)触媒を生じさせる還元剤としてアスコルビン酸を添加し、合成高分子とタンパク質との「クリック」反応を行いました。興味深いことに、単離されたバイオハイブリッド高分子が両親媒性のため、水溶液中でミセルが形成されていることが透過型電子顕微鏡で明らかになりました(図3)。
図3ポリスチレンとウシ血清アルブミン(BSA)タンパク質との「クリック」反応の図18。得られた両親媒性のバイオハイブリッドが水溶液中でミセルを形成していることが透過型電子顕微鏡画像でわかります。文献18より許可を得て転載(Copyright 2005 The Royal Society of Chemistry)。
CuAAC反応は、タンパク質のバイオコンジュゲーションに加えて、マンノースやガラクトースなどの炭水化物を鎖状高分子や樹枝状高分子と結合させる際にも利用されています19,20。このバイオハイブリッドは複数の結合部位を有しているため、細胞間相互認識プロセスや細胞タンパク質間相互作用プロセスにおける極めて特異的な経路を妨害する場合に用いられます。また、炭水化物はホルモン、抗体、毒素の標的リガンドとなるため、この材料は医薬品やバイオセンサーにも適していると考えられます。この他にも、「クリック」反応は、ウイルス、細菌、細胞などのさらに複雑な生物学的実体に対しても適用されており、「クリック」ケミストリーが非常に有用であることがわかります。
生体分子機能のほか、バイオハイブリッド合成の再現性も維持するには、タンパク質工学技術を使って生体分子の目的位置に望みのアルキン基やアジド基を導入することが極めて重要です。そのアプローチのひとつが複数部位置換法(multisite replacement)と呼ばれるもので、タンパク質構成アミノ酸のひとつを生産できない栄養要求性の細菌株を利用します。azidohomoalanineのような非天然アミノ酸を増殖倍地に添加すると、天然アミノ酸の代わりに組み込ませることができます21。この方法を利用してCandida antarctica由来Lipase B酵素(CalB)にアジド基を導入し、続いて、CuAAC反応によって末端にアルキンを有するポリ(エチレングリコール)を結合させました22。
分子集合体への機能付与
バイオコンジュゲーション反応にクリックケミストリーを応用すると、分子的に溶解した化学種に効果的に利用できるほか、分子集合体の官能基化にも利用できます。たとえば、両親媒性ブロック共重合体は溶媒中で自己組織化してベシクル構造を形成することができます。ポリマーソーム(polymersomes)とも呼ばれるこの高分子のベシクルは極めて安定性の高い球状の殻構造で、さまざまな化合物の封入に利用できます。このナノ容器を薬物送達担体やナノリアクターとして用いるには、標的リガンドや酵素を結合する必要があると考えられます。このアプローチを模式化するため、ポリスチレン-block-ポリ(アクリル酸)(PS-b-PAA)を調製し、末端の臭素をアジド基に置換しました23。このブロック共重合体のジオキサン溶液にゆっくり水を加えると、この両親媒性ブロック共重合体は自己組織化してアジド基がベシクルの外側に露出したポリマーソームを形成しました。水で徹底的に透析を行って有機溶媒を除去したのち、高感度緑色蛍光タンパク質(eGFP)などのアルキン基を導入したさまざまな基質を、ベシクル外側のアジド基と結合させました(図4)。eGFPが結合したポリマーソームの蛍光挙動を共焦点レーザー顕微鏡(confocal laser-scanning microscopy)で視覚化した様子を図4に示します。銅触媒を添加しなかった対照実験では蛍光が観察されなかったため、ベシクルにeGFPが共有結合しているという結論が得られました。
図4アジド基を導入したポリスチレン-<i>block</i>-ポリ(アクリル酸)からのポリマーソーム形成と、「クリック」ケミストリーによるポリマーソーム表面への高感度緑色蛍光タンパク質の導入を示す模式図(共焦点レーザー顕微鏡で視覚化)23。文献23から許可を得て転載(Copyright 2007 The Royal Society of Chemistry)。
その後の研究で、「クリック」ケミストリーを利用して、ポリスチレン-block-ポリ[L-イソシアノアラニン(2-チオフェン-3-イル-エチル)アミド](PS-b-PIAT)から成る半多孔性のポリマーソーム表面にCalB酵素を結合しました24。この場合、極性PIATブロックに望みのアルキン基を導入できなかったため、末端にアルキン基を有するポリスチレン-<i>block</i>-ポリ(エチレングリコール)ブロック共重合体をベシクル中に共凝集させることで、その後の官能基化の足がかりとしました。この酵素の活性は、ポリマーソームへの結合後にも維持されていました。
生体材料科学への応用展望
バイオハイブリッド高分子は、薬物送達、ナノテクノロジー、生物工学での応用に適した汎用性の高い材料であることが長年にわたって認識されています。純粋な生体分子は、立体配座が変換して機能を喪失しやすいため、バイオコンジュゲート研究が今後重要なテーマになり、新材料や改良型材料に応用されると考えられます。この点で、「クリック」ケミストリーは、ふたつの化合物をカップリングする、極めて効率的かつ特異的で、生物学的にも適した優れた手法です。高分子化学とタンパク質工学の互いの進歩とともに、科学者は、今や明確な構造と特性をもつハイブリッド高分子を調製するための包括的なツールを手にしているのです。
参考文献
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